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西成今昔物語

西成の今昔物語

西成の歴史

明治22(1889)年10月1日以降、瀬部村、時ノ島、穂波村(西大海道村、下奈良村、定水寺村、下奈良酉新田村)、赤羽村(大赤見村、柚木颪村、小赤見村、丹羽村)、浅淵村(北小淵村、南小淵村)と呼ばれていたようです。これが明治39(1906)年7月5日合併により西成村となりました。翌40(1907)年1月1日に丹陽村より馬見塚を分離し、西成村に合併しました。その後、昭和15(1940)年9月20日に一宮市に合併し現在に至ります。

何で西成っていうの?

一宮市の中でも、東方に位置しているのに、なぜ「西成」と言うのか?不思議ですよね。 独断と偏見を織り交ぜ、お答えします。 この「西成」は、昭和15(1940)年9月20日に一宮市に合併するまでは、西成村と呼んでいました。 西成村ができたのは、明治39(1906)年7月5日で、34年間続きました。それまでは、丹羽郡の西の端の肥沃な地にあった(位置していた)ことに由来していたからのようです。 丹羽郡西成村、一宮市の西成連区など、「西成」と呼ばれて百年余にもなります。先人の思いをはせ、郷土の成り立ちや伝統文化を大切にしたいものです。

どんな地名があるの?

瀬部、時之島、春明、西大海道、定水寺、丹羽、柚木颪、大赤見、小赤見、北小渕、南小渕、浅野、馬見塚 って街にくらしています。

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